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アドバイザー 齊藤 芙悠子

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2025.06.07

「吉野杉」のふるさと 奈良県川上村に行ってきました①

こんにちは!
おかげさまで創業75年、自然素材の木の家専門店 田中建築株式会社 アドバイザーの齊藤 芙悠子 です。

今年皆で受けている研修の一環で、奈良県吉野郡川上村へ行ってきました。
社長・設計・現場監督・大工全員をはじめとして13人のご一行!バス一台での大移動2泊3日の旅。
川上村来訪の目的は、一緒に国産材の研修を受けている大阪府寝屋川市の「創建工房」様が素材として選ばれている
日本の木材のトップブランドのひとつ「吉野杉」の産地を視察することでした。

ご案内くださったのは、古川ちいきの総合研究所 古川 大輔さん。
実はワタクシ齊藤の学生時代の知り合いで、出会った●十年前から「川上村」「川上村」と林業活性化と地域について、熱く語り続けていた大先輩です。

長野の里山の風景を愛し、その中で暮らしている身には「ちょっとこわいかも」と感じられるほど密植された針葉樹の山が迫りくる風景の川上村。整然と植えられた杉の樹形が印象的です。集合場所KAWAKAMI GATEWAY 
は黒と木を基調にした落ち着いた施設で、地域のライフライン・コンビニエンスストアが入っていました。
人生一かっこいいコンビニだな、と思いつつ研修スタートです。ちなみに朝5:30に長野を出発し、KAWAKAMI GATEWAY待ち合わせ時間は13:00(微妙に遅刻いたしました。)。休憩をしながらとはいえ、7時間半の道中でした。

川上村での研修は①川上村の林業の歴史と現状を知ること②「吉野杉」に触れること が目的だったかと思います。
今回私が強く印象に残ったことを書いておきたいと思います。

川上村は、①林業と切っても切れないスタイルで人々の歴史や暮らしが息づいている場所でした。その一つが上の写真に象徴的に表れているのかなと思います。川上村の林業家「土倉庄三郎」の功績をたたえるため、吉野川沿いの岩肌に刻まれた文字。川上村に生まれ、林業で功績をあげ、地域のインフラの整備に尽力しながら、同志社大学・日本女子大学の設立を支援したり、板垣退助の渡航費を援助したりと、明治時代の日本において教育と社会のために投資をした事業家だったそうです。そんなにすごい方が、当時でもアクセスがいいとは言えない川上村に居を置いて活躍されていたことも驚きでしたし、きっとその功績の恩恵を、時を超えて私たちも受けているのだろうと思いました。

そんなことを思いながら、バスは次の目的地「川上村役場」へ。2階会議室へ通していただくとお迎えくださったのは副村長さん始め、林務を担当される方々。「2日前に急に頼まれて準備が何もできとらん」と笑いながら、「本当に遠いところを、ようこそ川上村へおいで下さいました」とお話しくださる笑顔の嘘のなさに、川上村の人たちの温かさに触れた気がしました。
 これは、今回講師を担当してくださったふるかわ地域の総合研究所 古川さんと川上村の皆様の30年近い交流のたまもの。「古川君は学生時代、アルバイトして1万円の交通費がかせげると、その度に川上村に来ていた。交通費しかないのに、1週間とか、滞在できちゃう、何とかなっちゃう、ご縁を大切にするのが川上村。うちのこどもの勉強みてたな」と副村長さんが懐かし気に話されました。

その後、川上村の状況や林業についてご説明を頂く中に、「川上村の人間は、ひととのご縁を大切にする。」というお話がありました。土倉庄三郎さんだけでなく、副村長さん、この後お会いすることになる製材屋さんたちも、それは口だけのキャッチコピーではないのだなと、出会った方たちを通じて感じた1日でした。 おまけ。川上村役場の入り口のポスターが素敵でした。交流人口の創出、も村づくりの中に位置づけられていました。
ひととのご縁を大切にできるからこそ、その政策も活きて、移住する方が増える今に繋がっているのだと感じました!

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私たち田中建築には、「家づくり」を「幸せづくり」にするという信念があります。
それを実現するための方法は、生涯に渡るお金の計画を立て実行すること、
自然素材を使ってデザインされた高性能な木の家を建てることだと信じています。
同じ志を持った協力業者と共に、お客様の思いに寄り添う、顧客密着の工務店です。

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